会長声明・意見

最低賃金額の引き上げ等を求める会長声明

2020年(令和2年)6月29日
                      山口県弁護士会
会長 上 田 和 義
1.最低賃金の引き上げが必要であること
 中央最低賃金審議会は,厚生労働大臣に対し,2020年度地域別最低賃金改定の目安を答申する予定である。
 同審議会は,2019年7月31日付け答申において,山口県の目安をCランクの26円とし,山口地方最低賃金審議会は,同年8月9日に引き上げ額を目安額より1円アップの27円とする答申を行い(資料1),山口労働局長は,答申に従い同年の山口県の最低賃金を時間額829円(引き上げ額27円)に改定した(資料2)。
 しかし,最低賃金が時間額829円では,1日8時間,週40時間,月173時間働いたとしても,月収約14万3417円,年収約172万円にしかならない。
 政府は,本年4月7日,新型インフルエンザ等対策特別措置法(平成24年法律第31号)に基づき,7都府県を対象に緊急事態宣言を発出し,同月16日にはこれを全国に拡大したが,同年5月25日に緊急事態宣言を全面的に解除した。新型コロナウイルスの感染拡大により,経営基盤の脆弱な中小企業・小規模事業者の倒産・廃業が増加することを懸念し,最低賃金の引き上げを凍結すべきとの意見もあるが,「労働者の生活の安定」及び「労働力の質的向上」(最低賃金法(昭和34年法律第137号)第1条)を図るためにも,最低賃金の引き上げを凍結すべきではない。
 新型コロナウイルス感染症拡大と緊急事態宣言による影響を最も受けやすいのは,非正規雇用労働者をはじめとする最低賃金近傍での労働を強いられている労働者である。これらの労働者は,もともと生活するだけで精一杯で,緊急事態に対応するための十分な貯蓄を蓄えることができていない。それに加え,平均賃金の6割しか休業手当が支払われなければ,さらに低い収入しか得られなくなり,たちまち生活が成り立たなくなってしまう。
 むしろ,今般の緊急事態下において,小売店の店員,運送配達員,福祉・介護サービス従事者等の社会全体のライフラインを支える労働者の中には,最低賃金近傍で働く労働者が多数存在することを考えれば,その労働に報い,生活を十分に保証するためにも,最低賃金の引き上げは必要である。

2.日本の最低賃金は先進諸外国に比較して著しく低いこと
 日本の最低賃金は,先進諸外国の最低賃金と比較しても著しく低い。
 例えば,イギリスの最低賃金(資料3)は,8.72ポンド(25歳以上。約1142円),フランスの最低賃金(資料4)は,10.15ユーロ(約1177円),ドイツの最低賃金(資料5)は,9.35ユーロ(約1084円),アメリカの最低賃金(資料6)は,ニューヨーク市が15ドル(約1605円),ワシントン州が13ドル50セント(約1444円)であり(資料6。1ポンド131円,1ユーロ116円,1ドル107円で計算(小数点以下切り捨て。資料7)),世界的にみて日本の最低賃金の低さは際立っている。

3.日本の貧困と格差が拡大していること
 日本の貧困と格差の拡大は深刻な事態となっている。厚生労働省による「平成28年国民生活基礎調査」によれば,日本の相対的貧困率(貧困線を下回る所得しかない人の割合)は15.7%であった(資料8)。3年前の16.1%からやや改善したものの,貧困線(等価可処分所得の中央値の半分。熊本県を除く。)は年収122万円のまま変動がない。女性や若者に限らず,全世代で貧困が深刻化している。
 また,収入格差は,健康格差の原因ともなる。フランスのパリ郊外にあるセーヌサンドニ県では,長年,貧困が問題となってきたが,感染しにくいとされる若年人口が多いにもかかわらず,新型コロナウイルスの犠牲者は2万8千人に及び,全国で最も高い死亡率を記録した(資料9)。
 日本でも同様の事態が生じないよう留意すべきであり,働いているにもかかわらず貧困状態にある者の多数が最低賃金近傍での労働を余儀なくされ,最低賃金の低さが貧困状態からの脱出を阻止する大きな要因となっていること,さらには収入格差が健康格差の原因ともなりうることからすれば,最低賃金の引き上げが必要である。

4.地域間格差が拡大していること
 地域別最低賃金の地域間格差は,依然として大きく,しかも年々拡大している。
 2019年の最低賃金は,最低額は九州地方7県を中心とする15県の790円,最高額は東京都の1013円であり,223円もの格差があった。山口県の最低賃金は829円であり,全国加重平均901円を72円も下回っており,最高額の東京都の1013円と比べると,184円もの格差があった。
 このような地域間格差は年々拡大している。2008年の最低賃金は,鹿児島県が627円,東京都が766円,その格差は139円しかなかったが,2019年の最低賃金は,前述のとおり格差が223円に広がっている(資料10)。
 地方では,賃金が高い都市部での就労を求めて若者が地元を離れてしまう傾向が強く,労働力不足が深刻化している。山口県の総人口は,平成27年国勢調査では140万5千人となり,前回調査(平成22年国勢調査)より4万7千人の減少となった(資料11)。人口減少が続くと,労働力不足の深刻化だけでなく,消費が減るなど経済にも悪影響を与えることになる。
 都市部への労働力の集中を緩和し,地域に労働力を確保することは,地域経済の活性化の上でも有益であり,政府は,早急に全国一律最低賃金制度の実現に向けた検討を開始すべきである。

5.政府目標の達成が困難であること
 政府は,2010年6月18日に閣議決定された「新成長戦略」において,できる限り早期に全国最低800円を確保し,景気状況に配慮しつつ,2020年までには全国平均1000円を目指すとしている(資料12)。しかし,近年の値上げ幅を考えると,この政府目標は達成できない可能性が極めて高い。政府は目標が達成できないことを重く受け止めるべきであるが,政府目標に少しでも近づけ,労働者の健康で文化的な生活を確保し,地域経済の健全な発展を促すためにも,中央最低賃金審議会及び山口地方最低賃金審議会は,最低賃金の引き上げを答申すべきである。

6.中小企業の経営に配慮した施策を行う必要があること
 現在,厚生労働省は,業務改善助成金など最低賃金の引き上げに向けた生産性向上等の支援策を設けているが,利用実績が少なく(資料13),2020年1月より助成対象などが拡充されたものの,依然として設備投資の実施などが要件となっているため,中小企業にとって必ずしも使い勝手のよい制度となっていない。
 最低賃金を大幅に引き上げるには,私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(昭和22年法律第54号)や下請代金支払遅延等防止法(昭和31年法律第120号)といった中小企業を保護する役割を果たす法制度の積極的な運用も必要であるが,中小企業の経営が圧迫されないよう,助成金制度や補助金制度を使い勝手のよいものに変え,さらには税金や社会保険料の大胆な減免措置を講じるなど,中小企業の経営に十分配慮した施策を行うことが不可欠である。

7.労働者の実情を調査・資料化し,科学的に検討すべきこと
 山口地方最低賃金審議会は,2019年8月9日,労使の意見がまとまらなかったことから,公益委員の見解を元に採決を行った結果,賛成多数で引き上げ額を目安額より1円アップの27円とする答申を行った。
 しかし,1円アップの理由については,「政府の経済政策に配意した中賃の目安額を踏まえ,最低賃金近傍で働く労働者の労働条件の改善,最低賃金の総合指数との整合性,地域間格差を考慮するとともに,山口県内の経済情勢,本審議会に配意を求められた上記閣議決定(引用者註:令和元年6月21日閣議決定)において「より早期に全国加重平均が1,000円になることを目指す」との方針が示されたこと等の状況を総合的に勘案し,中賃の目安に1円を加えた」(資料14・6頁参照)とするものの,県内の労働者が置かれた実情を踏まえた具体的な根拠が示されていない。
 最低賃金が「労働者の生活の安定」及び「労働力の質的向上」の要請を充たすためには,非正規労働者その他の労働者の実情を調査し,その資料を中央最低賃金審議会及び地方最低賃金審議会に提出する必要がある。
 最低賃金法も,厚生労働大臣は,賃金その他労働者の実情について必要な調査を行い,最低賃金制度が円滑に実施されるように努める義務があり(第28条),厚生労働大臣及び都道府県労働局長は,使用者及び労働者に対し賃金に関する事項を報告させることができ(第29条),地方最低賃金審議会は,都道府県労働局長の諮問に応じて,最低賃金に関する重要事項を調査審議し,及びこれに関し必要と認める事項を都道府県労働局長に建議することができる(第21条)と定めている。
 したがって,最低賃金を決定するにあたっては,①前年以降の雇用・所得等に対する影響及び経済情勢・雇用状況・平均賃金の上昇率などの調査,②最低賃金の影響を受けやすい低賃金業種の企業へのアンケート調査及び地方のヒアリング,③リビングウェイジ(労働者が最低限度の生活を営むのに必要な賃金)に関する研究,④政府・労使などの関係組織からの意見聴取などを実施した上でその結果を資料化し,これをもとに科学的な検討が行われなければならない。そして,最低賃金に対する市民の関心を喚起し,決定の妥当性を検証可能とするため,調査等の結果を広く市民に報告すべきである。

8.審議に関する事項を積極的に公開すべきこと
 山口地方最低賃金審議会は,委員の氏名,所属及び役職をインターネットで公開していないが,中央最低賃金審議会は,これら委員に関する情報をインターネットで公開している。委員に関する情報は,発言者の意図・利害関係を検討する上で重要な情報となるから,インターネットで公開するのが相当である。
 また,山口地方最低賃金審議会は,現在,本会議の傍聴は認めているが,専門部会の傍聴は「率直な意見交換が損なわれるおそれがある」として認めていない。しかし,鳥取地方最低賃金審議会では専門部会の傍聴も認めている(全面公開)が,特段の支障は生じておらず,山口地方最低賃金審議会も,審議の透明性を確保するため,専門部会の傍聴を認めるべきである。
 加えて,山口地方最低賃金審議会は,審議会の議事録や配布資料等を市民が容易に利用できるよう,インターネットで公開すべきである。現在,議事録や配付資料等は情報公開によって入手できるが,時間と費用と手間が掛かるため,多くの市民がその内容を知らない状態にある。インターネットで議事録や配付資料等を公開すれば,市民が最低賃金に関する正確な情報を容易に入手できるようになり,最低賃金に対する市民の関心も喚起できる。
 このように,審議に関する事項を積極的に公開することによって,初めて県民の最低賃金に対する信頼を得ることができる。

9.委員の推薦及び選任について
 最低賃金審議会の委員は,労働者を代表する委員,使用者を代表する委員及び公益を代表する委員によって組織されるところ(最低賃金法第22条),前二者は,関係労働組合又は関係使用者団体からの推薦に基づき任命されている(最低賃金審議会令第3条)。
 このうち労働者を代表する委員は,非正規労働者を数多く組織する関係労働組合からも推薦されることが望ましい。なぜならば,非正規労働者は,就業関係が不安定で最低賃金の影響を受けやすく,全労働者の3分の1以上を占めているからである。
 また,公益を代表する委員は,最低賃金の額が貧困問題の解決と密接に関係することから,生活困窮者の就労支援等を行っている団体の出身者及び社会保障法を専門とする学者からも選任することが望ましい。

10.まとめ
 よって,当会は,次のことを求める。
①中央最低賃金審議会及び山口地方最低賃金審議会は,労働者の健康で文化的な生活を確保し,地域経済の健全な発展を促し,政府目標に少しでも近づけるため,最低賃金の引き上げに向けた答申をすること。
②国会及び厚生労働大臣は,最低賃金の大幅な引き上げに当たり,助成金制度や補助金制度を使い勝手のよいものに変え,さらには税金や社会保険料の大胆な減免措置を講じるなど,中小企業の経営に十分配慮した施策を行うこと。
③国会及び厚生労働大臣は,全国一律最低賃金制度の実現に向けた検討を早急に開始すること。
④厚生労働大臣,山口労働局長,中央最低賃金審議会及び山口地方最低賃金審議会は,中央最低賃金審議会及び地方最低賃金審議会において科学的な検証を行うため,最低賃金によって最も大きな影響を受ける非正規労働者その他の労働者の実情を調査・資料化し,調査等の結果を広く市民に報告すること。
⑤山口地方最低賃金審議会は,委員の氏名,所属及び役職をインターネットで公開し,専門部会の傍聴を含めた審議過程を全面的に公開し,審議会の議事録や配布資料等をインターネットで公開すること。
⑥厚生労働大臣及び山口労働局長は,非正規労働者を数多く組織する関係労働組合からも最低賃金審議会の労働者を代表する委員を推薦させ,また生活困窮者の就労支援等を行っている団体の出身者及び社会保障法を専門とする学者からも最低賃金審議会の公益を代表する委員を選任すること。
以上


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