弁護士会について/About Yamaguchi Bar Association

決議・会長声明

最高刑のあり方についての国民的議論が尽くされるまでの間、すべての死刑執行を停止することを求める会長声明

2018年(平成30年)12月26日
山口県弁護士会 会長 白石資朗

1、当会は、平成28(2016)年3月、シンポジウム「死刑を考える日」を主催して死刑制度について県民に議論を呼びかけたが、昨年末からの死刑執行の状況から、死刑制度を含めた最高刑のあり方についての国民的な議論を深めるべき時期にあると考える。
具体的には、平成29(2017)年12月19日、再審申立て中であった2名の死刑が執行された。また、平成30(2018)年7月6日に7名、同月26日に6名の死刑が執行された。死刑執行の事実及び人数の公表を行うようになった平成10(1998)年11月以降、同じ月に二度の執行がされたことも初めてであるし、同じ月に執行された人数としても最大であり、異例ともいえる死刑執行である。しかも、死刑が執行された者の中には、再審申立て中の者や、刑事訴訟法479条1項の「心神喪失の状態に在る」ことを理由に、法務大臣の命令によって死刑の執行を停止すべきであると弁護人から指摘されていた者も含まれている。
 法務大臣の方針次第で死刑執行の状況が異なり、異例ともいえる執行がなされることもあるというのでは、死刑制度が制度として健全に運用されているとはいえない。
異例ともいえる死刑執行がなされた今の時期こそ、死刑制度を含む最高刑のあり方についての国民的な議論を深めるべき時期であるといえる。そして政府は、国民的な議論のための資料として、例えば死刑が確定した者の生活状況、法務大臣が死刑執行命令を出すに至る一連の手続き、法務大臣がどのような検討のもとに死刑執行命令を出しているのか等に関する具体的な情報を公開すべきである。

2、また、死刑は、生命を剥奪する刑罰であって究極的かつ不可逆的な人権制限であるから、再審を含めて十分に審理が尽くされるべきである。そこで、少なくとも再審申立て中の者に対する死刑執行は停止されるべきである。
わが国では、1980年代に4件の死刑確定事件(免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件)について再審無罪が確定しているが、さらに、平成26(2014)年3月27日になされた袴田事件の再審開始決定は、誤判・えん罪の危険性を、あらためて示すものであった。袴田事件について、平成30(2018)年6月11日、東京高等裁判所は、静岡地方裁判所の再審開始決定を取り消したが、死刑及び拘置の執行停止措置は取り消さなかった。再審開始決定を取り消した判断には疑問があるものの、死刑等の執行停止を取り消さなかった判断は、その慎重さにおいて支持できる。
 
3、ただ、上述のように死刑制度が健全に運用されているとはいえない現状、最高刑のあり方について議論を深めるべき時期に来ていることを考慮すると、議論が尽くされるまでの間は、再審申立て中であるか否かにかかわらず、立法その他の方法によりすべての死刑執行を停止することが必要である。
 また、国民的議論にあたっての課題として、当会は、次の問題点を指摘する。
第1に死刑が最高刑として妥当なのかという問題がある。
 例えば、凶悪犯罪を犯す者のなかには死刑を望み又は覚悟して犯罪を実行したと供述する者もあると報道されており、そのような者に対して、悔悟のための十分な時間を与えないままに死刑を執行することに処罰としての意味があるのか、つまり、死刑はその執行とともに処罰を終えてしまう刑罰であるが、例えば終身刑の導入等によって罪を償う期間を長くする方が重い処罰になるのではないかという問題である。
 また、犯罪から社会を守るという点では、死刑によって凶悪犯罪を抑止できるのかという問題がある。
 現に、140か国以上の国が死刑を廃止または停止しているが、そのために凶悪犯罪が増加するかどうか、あるいは死刑が凶悪犯罪を抑止できるかどうかは、実証されていない。それどころか、死刑を望んで凶悪犯罪を犯した者については、死刑制度が逆に凶悪犯罪を引き起こしたということにもなりかねない。
第2に、えん罪の危険がある以上、死刑が取り返しのつかない結果を招くという問題がある。死刑は生命を剥奪する刑罰であって究極的かつ不可逆的な人権制限であるが、刑事司法制度は人が運用する制度であって、誤判、えん罪の危険が常に存在する。
誤判、えん罪の危険については上述したほか、刑期を終えた後に真犯人が判明した氷見事件、パソコンの遠隔操作をされた被害者が犯人として逮捕され自白等させられた事件、精度が低い時期のDNA鑑定により犯人とされ再審により無罪が確定した足利事件などが記憶に新しい。これらの事件からもわかるように、捜査や裁判を行うのは人間であって誤りを犯さない人間は存在しないこと、証拠のねつ造や自白強要といった構造的な背景があること等が指摘されており、えん罪の根絶が見通せない。だからこそ、えん罪で逮捕・起訴・処罰された本人に対する補償制度が不可欠である。ところが、死刑が執行されてしまえば、国家は、その本人に対して補償することができない。
また、死刑を執行されてしまえば、その後の人生も失われ、幸福な人生を取り戻す可能性すら奪われてしまうのであって、取り返しがつかない。
近代国家は国民の生活と権利を守るために存在しているのに、えん罪によって国民の生命を奪い、その本人が補償を受ける可能性や幸福な人生を取り戻す可能性を奪うことが許されるのかという問題である。特に、足利事件と同じ時期のDNA鑑定を証拠として死刑判決が確定した飯塚事件について、すでに死刑が執行されてしまったことは重大である。また、上述した袴田事件について死刑の執行停止が取り消されなかったことには、この点の考慮が窺われる。
 第3に、人権の分野において、日本が、国際機関の勧告や決議を受け入れなくていいのかという問題がある。
 国際社会では、第2次世界大戦の経験から、人権の尊重が平和の維持に深く関係すると考えられるようになり、人権問題は国際社会のすべての国家にかかわる国際問題として取り上げられるようになった。そして、我が国も批准した国際人権(自由権)規約に基づき設置された規約人権委員会が、日本政府に対して、2014(平成26)年7月、死刑の廃止について十分に考慮すること等を勧告した。また、同年12月の国際連合総会において「死刑の廃止を視野に入れた死刑執行の停止」を求める決議が採択されている。
 このような国際機関の勧告や決議を受け入れないことは、わが国の人権感覚について国際社会から疑念の目を向けられるのではないかという問題である。

4、以上から、当会は国に対し、死刑に関する情報を広く国民に公開し、最高刑のあり方について国民的議論が尽くされるまでの間、すべての死刑執行を停止するよう求める。


 
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